2021年、有馬豊氏(ありまとようじ)が久留米藩21万石の初代藩主として、初めて久留米城に入ってから400年を迎えます。
有馬記念館では、この節目の年に向けて、大名有馬家とその家臣たちを紹介する企画展「大名有馬家臣団Ⅰ~Ⅲ」(平成28~30年度)、有馬豊氏の久留米入城以前の歴史を辿る「有馬入城前夜Ⅰ~Ⅱ」(令和元・2年度)を開催してきました。
久留米入城400年が、久留米の礎を築いた先人の歩みを振り返り、久留米の歴史文化を未来に伝える機会となりますよう、有馬記念館ならではの魅力ある事業を企画してまいります。
現在の都市・久留米は、初代藩主有馬豊氏の入国を機に築かれた久留米城と、江戸時代を通して整備・改造されたその城下町を継承して発展してきました。
酒や瓦の製造、久留米絣や籃胎漆器などの伝統工芸は、久留米藩の時代に始まりました。
明善高等学校は、藩校明善堂を前身としています。また久留米の医学は、久留米藩の医学館に始まります。
その他に、久留米藩主の援助により築かれた「有馬家霊屋 五棟」・「高良大社本殿・幣殿・拝殿、大鳥居」・「善導寺本堂ほか 七棟」は、現在、国の重要文化財に指定されています。また、久留米藩士が開発した久留米つつじ、江戸時代の水天宮奉納花火大会を前身とする筑後川花火大会など、久留米藩時代に由来する歴史遺産の数々が今日に伝わります。
初代久留米藩主有馬豊氏の入城に伴い久留米に移り住んだ商家で作られている匂い袋は、天然の香料を使用。古来よりお香には邪気を払い、空気を浄化し、精神を落ち着かせる働きがあるといわれています。
有馬家の家紋の一つ、龍胆車(りんどうくるま)紋をかたどった文鎮です。城島瓦は、江戸時代に有馬氏が丹波の国より瓦工を連れてきたところから始まったとされ、約400年の伝統があります。
有馬氏は、産業振興策として櫨の栽培を奨励。今も、柳坂曽根の櫨並木など久留米には多くの櫨の木が残っています。この商品は、筑後産のイグサ(灯心草)の芯に櫨蝋を手がけして作る職人手作りの伝統和ろうそく。炎には揺らぎながら表情を変える美しさがあります。
水引は、人と人、心と心を繋ぐものとして、また健康や仕事などあらゆるものと良縁を結ぶものとして使われてきました。このブローチは、梅の花をあらわす「梅結び」といわれる技法で作られたものです。
有馬家の3種類の家紋、焼き鳥やラーメン屋台、久留米絣など、久留米ならではのユニークなモチーフの12種類の陶製のおはじきが詰め込まれています。
大名有馬家で使用されていた三つ巴(みつどもえ)紋、釘抜(くぎぬき)紋、龍胆車(りんどうくるま)紋という3種類の家紋をあしらっています。味わいのある青色を、表裏両面に染め上げた本格的な手ぬぐいです。
大名有馬家で使用されていた三つ巴(みつどもえ)紋、釘抜(くぎぬき)紋、龍胆車(りんどうくるま)紋と、久留米入城400年のロゴをあしらったデザインです。
表(左側)に貝合わせの貝を、裏面(右側)はそれを収めた一対の桶。有馬家の家紋の龍胆車(りんどうくるま)紋が入っています。指先に乗るほどの小さな貝で作られ、一つ一つに大和絵風の雛や花鳥が描かれています
大名有馬家で使用されていた三つ巴(みつどもえ)紋、釘抜(くぎぬき)紋、龍胆車(りんどうくるま)紋という3種類の家紋と入城400年記念ロゴをあしらっています。