2021年は、九州の戦国時代が終わりを告げてから、江戸時代の天下泰平の世を迎える有馬豊氏(ありまとようじ)の久留米城入城から400年を迎えます。
その前夜、筑後・久留米の地は、戦国の雄・毛利元就(もうりもとなり)の九男でキリシタン大名の小早川秀包(こばやかわひでかね)、次いで筑後一国を領した田中吉政(たなかよしまさ)・忠政(ただまさ)によって治められました。
本展では、福岡県久留米市内に伝わる高良大社所蔵文書(県指定有形文化財)、梅津家文書・隈家文書・玉垂宮文書(市指定有形文化財)、善導寺文書、朝日寺文書などの貴重な史料群から、小早川・田中時代の古文書や歴史資料を一挙公開します。
現在の久留米市役所本庁舎建設に先立ち、平成3~4年に行った発掘調査で発見された瓦です。
この両替町遺跡(久留米城下町遺跡第2次調査)では、小早川時代のキリシタン教会の遺構なども検出されました。沢潟文(おもだかもん)は、小早川秀包の出身である毛利家の家紋の一つです。
文禄5年(1596)5月10日付けで、小早川秀包から高良山大祝(おおほうり)宛てに出された文書で、高良山「大菩薩領千石寄進」のうち15石の地を遣わすと記しています。
明治11年(1878)に、「櫛原街」(現久留米市)の個人蔵の田中吉政肖像画を、三谷有信が模写したものです。
吉政は豊臣秀次の家老時代、賊徒を成敗した際、顔を負傷しました。その時の傷が、左目から鼻、唇にかけて描かれています。
慶長6年(1601)7月3日付けで、田中吉政から三潴郡大善寺に対して、300石を寄進し、朝夕の勤行を怠ることなく執り行うよう命じた文書です。
元和6年(1620)に田中家が改易になると、江戸幕府は筑後一国を接収するため、上使として松倉重政・竹中重義を派遣しました。これは、翌年2月26日付けで松倉・竹中から三潴郡大善寺宛てに出した文書で、寺領300石を安堵することが記されています。
開催期間 | 令和2年度有馬記念館企画展「有馬入城前夜シリーズⅡー小早川・田中の時代」 ・会 期 令和2年9月26日(土)~令和3年1月11日(月) ・休館日 毎週火曜日(祝祭日と重なる場合は翌平日) 12月28日~1月1日 |
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開館時間 | 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで) |
入館料 | 一般 210円(150円)、高校生以下は無料です ※( )内は15名以上の団体料金です。ただし、無料で入館されるお客様は団体の人数には含まれませんので、ご注意ください。 ※身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳又は療育手帳の交付を受けている方とその介護者1名は無料で入館できます(受付で手帳をご提示ください)。 |
その他 | ・上下階への移動は、車椅子対応のエレベーターがあります。 ・1階の多目的トイレは、車椅子でもご利用できます。 |